〜 つらい出来事のあと、まず心を手当てする 〜
転んでケガをしたら、まず傷口を洗って手当てをします。
心も同じです。事故・災害・暴力・大切な人の突然の死——ショックな出来事のあとには、「心の応急手当(トラウマ・ファーストエイド)」が必要になります。
これは、専門的な治療のことではありません。出来事の直後、これ以上心が傷つかないように守り、少しでも落ち着きを取り戻すための、ごく基本的なケアのことです。特別な資格がなくても、自分自身にも、身近な人にもできます。
世界保健機関(WHO)も、災害や事件のあとにまず行うべきこととして、この考え方(サイコロジカル・ファーストエイド:PFA)をすすめています。
ショックな出来事のあと、心と体にさまざまな反応が出るのは当たり前のことです。そしてその多くは、安全が確保され、まわりの支えがあれば、数週間のうちに自然とやわらいでいきます。応急手当の目的は「病気を治す」ことではなく、その自然な回復力がきちんと働くように、環境を整えることです。
つらい出来事の直後、心と体には強い反応が現れます。これは命を守るために、脳と体が自動的に作動した結果であり、あなたが弱いからでも、おかしくなったからでもありません。
「異常な出来事に対する、正常な反応」——まずこのことを知っておいてください。
動悸・息苦しさ・震え・眠れない・食欲がない・頭痛・疲れがとれない
恐怖・不安・怒り・悲しみ・罪悪感・何も感じない(麻痺したような感覚)
出来事が何度もよみがえる・集中できない・ぼーっとする・現実感がない
その場所を避ける・ひとりになりたい/離れたくない・落ち着かない
これらの反応は、時間とともに少しずつ波が小さくなっていくのがふつうです。「強い反応が出ている=重症」ではありません。
つらい反応が出ているのは、あなたの心が、出来事をなんとか消化しようとがんばっている証拠です心の応急手当には、世界共通の3つの基本があります。「安全」「安心・落ち着き」「つながり」——むずかしいことは何もありません。この3つを、自分にも、支えたい人にも届けることが出発点です。
何よりも先に、体の安全を確保します。危険な場所から離れ、暖かくして、水分や食事をとり、休める場所を見つけます。ニュースや事故の映像・SNSを繰り返し見続けると、心が再びショックを受けます。つらい情報からも、いったん距離をとりましょう。
強い不安や緊張がつづくときは、「考え」より先に「体」を落ち着かせるのが近道です。ゆっくりした呼吸、温かい飲み物、安心できる人のそば——体がゆるむと、心も少しずつ追いついてきます。
安心できる人とつながっていることは、回復をいちばん強く支えます。話したいことを話し、話したくないことは話さなくて大丈夫。そばにいてもらう、連絡をとる、それだけでも十分です。「迷惑かな」と遠慮せず、頼っていいのです。
世界の災害・トラウマ研究をまとめた専門家グループは、出来事のあとに大切なこととして、①安全感 ②落ち着き ③「自分(や周囲)はやれる」という感覚(自己効力感) ④人とのつながり ⑤希望——の5つを挙げています(Hobfoll ら, 2007)。3つの柱は、この考え方をやさしくまとめたものです。
かつては、出来事の直後にみんなで体験を詳しく語り合う方法(心理的デブリーフィング)がよいと考えられていました。しかしその後の研究で、直後に無理やり語らせることは、かえって回復を妨げる場合があるとわかってきました。
大切なのは、本人が話したくなったときに、そのペースで聴くこと。「話して楽になるなら聴くよ、でも話さなくても大丈夫」——この姿勢が、いちばんの支えになります。
WHOは、支える人の基本を「見る・聴く・つなぐ」の3ステップで説明しています。専門家でなくても、この3つを意識するだけで、大きな支えになれます。
まず安全を確かめ、その人が今いちばん必要としているもの(体の手当て・休息・連絡先など)に気づくこと。強い反応が出ていないか、そっと様子を見ます。
そばに寄り添い、急かさず、否定せず、ただ聴く。アドバイスや「がんばって」より、「つらかったね」「あなたは悪くない」という一言のほうが届きます。沈黙も、立派な支えです。
必要な情報・支援・人(家族・相談機関・医療)につなげること。すべてを自分ひとりで支えようとせず、専門の窓口に橋渡しすることも、大切な手当てです。
人を支えると、支える側も心が消耗します(共感疲労)。自分の睡眠・食事・休息も守りながら、無理のない範囲で関わってください。「自分も大丈夫でいること」が、相手を支え続ける土台になります。
強い反応がいちばん出やすい時期。安全・安心・つながりを最優先に。治療より「守ること・休むこと」が大切です。
多くの人は、反応の波がだんだん小さくなっていきます。生活リズムを取り戻しながら、無理せず過ごします。波があるのは自然なことです。
強い反応が1か月以上つづき、生活に支障が出ている場合は、PTSD(心的外傷後ストレス障害)などの可能性も考え、医療機関に相談する目安になります。早めの相談は、回復を助けます。
時間の経過を待たず、次のようなときは早めに専門家に頼ってください。
これらは「弱さ」ではなく、手当てが必要なサインです。当院でも、ていねいにご相談をお受けします。
つらい出来事のあと、どんな反応が出ても——
それは、あなたが必死に生きのびようとした証です。
焦らなくて大丈夫。安全な場所で、安心できる人とつながりながら、あなたのペースで少しずつ。手当ては、今日からできます。そして、ひとりでやらなくていいのです。