〜 「反省」と「自責」は、別のものです 〜
職場の空気が悪いのは、自分がうまくやれていないからだ。
友だちの返信が遅いのは、この前の言い方がまずかったからだ。
家族の機嫌が悪いのは、自分のせいだ。
そして——夜、布団に入ってから何度も再生してしまう。「あのとき、ああ言えばよかった」「なんであんなことをしたんだろう」。考えても何も変わらないとわかっているのに、止まらない。
この2つは、外から見ると同じに見えます。どちらも「自分が悪かった」と考えているからです。でも、中身と行き先がまるで違います。
| 反省 | 自責 | |
|---|---|---|
| 向かう先 | 行動に向かう | 自分という人間に向かう |
| 言い方 | 「あの言い方は、まずかった」 | 「自分は、ダメな人間だ」 |
| 変えられるか | 次から変えられる | 変えようがない(人格は直せない) |
| 終わり | 結論が出たら、終わる | 終わらない。何度でも戻ってくる |
| あとの気分 | すっきりする、前を向ける | 重くなる、動けなくなる |
| 役に立つか | 次の行動が変わる | 何も変わらない。消耗するだけ |
いま自分がどちらをしているか迷ったら、こう聞いてみてください。
「それで、次はどうする?」
答えが出てくるなら、反省です。続けてかまいません。
何も出てこない、ただ苦しいだけなら、それは自責です。そこから先は、考えても一歩も進みません。
この違いは、言葉の上ではささいに見えます。でも実際には決定的です。
「締め切りに間に合わなかった」——これは事実で、対処法があります。早めに着手する、量を減らす、相談する。
「自分はだらしない人間だ」——これには対処法がありません。人間ごと取り替えるわけにはいかないからです。だから結論が「自分はダメだ」になった時点で、その思考は出口を失います。
出口がないから、ぐるぐる回り続けます。自責が終わらないのは、あなたの性格のせいではなく、出口のない問いを立てているからです。
意味もなくそうしているわけではありません。どれも、それなりの理由があります。
これはぜひ知っておいてください。「過剰な罪悪感」「自分には価値がないという感覚」は、うつ病の診断基準に書かれている症状です。
つまり、うつのときの自責は性格ではなく、病気が見せている見え方です。同じ出来事でも、うつのときは自分の落ち度に見え、回復すると「あれは仕方なかった」と見えるようになります。
だから、うつの時期に「考え方を直そう」としてもうまくいきません。先に治療をして、見え方のゆがみを取るほうが早いのです。
意外に思われるかもしれませんが、「自分が悪い」という説明は、心にとって都合がよい面があります。
理不尽なことが起きたとき、「理由もなくひどい目にあった」と考えるのは、とても不安なことです。次にいつ起きるかわからないからです。ところが「自分が悪かったからだ」と考えれば、自分が変われば防げることになります。
つまり自責は、どうにもならない状況に、なんとか手綱を取り戻そうとする試みでもあります。特に、子どものころにつらい経験をした方に多く残ります。
人に責められるのは、とてもこたえます。だから先回りして自分で言っておく——という癖がつくことがあります。
「すみません、自分がダメで」と先に言えば、相手はそれ以上言えません。予想外に傷つくことを防げます。
ただし代償があります。先回りを続けているうちに、それが自分への本当の評価になっていきます。守りの言葉だったものが、いつのまにか事実として住みつくのです。
「自分を責めるのをやめる=開き直る」と感じていませんか。まじめな方ほど、この感覚を持っています。
でも、責めることと責任を取ることは別です。責めている時間は、何も生み出しません。本当に責任を取るなら、謝る・直す・次に備える——という行動が要ります。
むしろ、責めすぎると行動が止まるので、責任は取りにくくなります。
頭の中で自分を責める声を、よく聞いてみてください。その言い回しは、本当に自分のものですか。
親、教師、上司、昔の誰か。責められ続けた人は、その声を内側に持ち帰ります。その人がもういなくなっても、声だけが残って、同じことを言い続けます。
それに気づけると、少し距離が取れます。それはあなたの判断ではなく、覚えてしまった録音です。
自責は「つらいけれど、必要なこと」と思われがちです。でも実際には、はっきりした害があります。
同じ場面を何度も再生してしまう状態を「反すう」と呼びます。
責めるのには、かなりのエネルギーを使います。
これが見落とされがちな害です。「自分が悪い」と思っていると、人に相談できなくなります。
言えば責められる気がする。こんなことで困っているのは自分だけだと思う。迷惑をかけると思う。——そうして、いちばん助けが要るときに、いちばん孤立します。
自責は、静かに人を一人にしていきます。
自分に厳しいほうが伸びる、とよく言われます。ところが調べてみると、そうではありませんでした。
自分を強く責める人ほど、失敗しそうなことを避け、失敗を認めるのが遅れ、先延ばしが増えることが報告されています。責められるのが怖いので、そもそも見に行かなくなるのです。
逆に、失敗しても自分を痛めつけない人のほうが、失敗をすなおに認め、そこから直しにいくという結果が出ています。
いきなり「責めない」は無理です。順番があります。①から③までできれば、かなり変わります。
最初の目標は、やめることではなく、気づくことです。
ふつう、自責は気づかないうちに始まって、30分後に「またやっていた」と気づきます。この気づくまでの時間を短くするのが第一歩です。30分が10分になり、5分になっていきます。
気づけた時点で、もう半分成功しています。気づかないまま巻き込まれるのと、気づいて眺めるのとでは、まったく違う状態だからです。
責めてくる声を、自分の本心ではなく「登場人物」として扱います。
「またダメ出し係が来た」「厳しい審査員の時間だな」。名前がつくと、その声=自分、ではなくなります。少し離れたところから見られるようになります。
「考えない」は、かえって逆効果です(考えまいとするほど出てきます)。そこで、考える時間のほうを決めてしまいます。
「夜7時から10分だけ、思いきり考える。それ以外の時間は、7時まで持ち越す。」
不思議なもので、7時になると勢いが落ちていることがよくあります。禁止するのではなく枠に入れるのがコツです。
紙に2つの欄を作って書き分けます。
事実:返信が3日来ていない。
解釈:この前の言い方で嫌われた。
書き分けると、事実はとても少なく、ほとんどが解釈だったとわかります。そして解釈のほうには、たいてい他の可能性があります(忙しい、見落とした、返しづらい内容だった)。
「自分が悪い」と感じたことについて、関係した要因を全部書き出して、割合を振ってみます。コツは、自分を最後に書くことです。
たとえば「会議がうまくいかなかったのは自分のせいだ」なら——準備期間が短かった/資料が直前に変わった/参加者が多すぎた/前の議題が長引いた/体調が悪かった/自分の説明がわかりにくかった。
全部に割合を振ると、自分の取り分は思っていたよりずっと小さいことがほとんどです。ゼロにはなりません。それでいいのです。自分の分だけを引き受けるのが目的です。
最後に、自責を反省に変換します。Section 02 の質問を、自分に向けてください。
「次は、資料を前日までに確認する」——これが出たら、そこで終わりにします。結論が出たら、その件は閉じてよいのです。
何も出てこないなら、それはそもそも自分にできることがなかったということです。それもひとつの結論です。
ここまでの方法は、ある程度の余力があるときに効くものです。うつが背景にあるときは、どれもうまくいきません。
次のようなことがあれば、考え方の練習より治療が先です。
責めるのをやめられないのは、性格ではなく症状のことがあります。治療で見え方が戻ると、「なんであんなに責めていたんだろう」と思えるようになる方がたくさんいます。