避けたくなるのは、いい加減だからではありません
「やってみない?」と言われた瞬間に、胃のあたりが重くなる。
断ったあとでほっとして、そのあとすぐ自分が嫌になる。
こういうとき、いちばんつらいのは「逃げた」と自分を責めてしまうことかもしれません。でも、責任を避けたくなるのには、ちゃんとしたしくみがあります。ここでは、そのしくみと、抜け道をお話しします。
いくつか当てはまったとしても、それは性格の欠点ではありません。責任というものを、人より重く見積もっている——ただそれだけのことが起きています。
責任を避けたくなる方の多くは、引き受けた瞬間に、頭の中でこう計算しています。
この見積もりが本当なら、避けたくなるのは当然です。誰だってそんな立場は引き受けたくありません。問題は、その見積もりが実際より大きすぎることが多い、という点にあります。
何かがうまくいかなかったとき、原因はふつう、いくつにも分かれています。たとえば「任された企画がうまくいかなかった」とき——
(あくまで一例です。割合は場面によって変わります)
引き受ける前は、この円のほぼ全部が自分の色に見えています。でも実際に書き出してみると、自分の分はもっと小さいことがほとんどです。ワークでは、この円を実際に描いてみます。
責任を過大に見積もる傾向は、不安や強迫の研究でくり返し確かめられてきた考えのクセです。そして、書き出して分けてみるだけで見積もりが下がることも知られています。気持ちで納得しようとするより、紙の上で分けるほうが早いのです。
ここがいちばん大事なところです。回避は「効いてしまう」から続きます。
この輪の中にいると、努力や根性では抜けられません。3番の「ほっとする」が強すぎるからです。抜け道は別のところにあります——4番で止まっている「確かめ」を、小さく再開することです。
責任から逃げてしまう自分を「無責任だ」と責めている方が、とても多くいらっしゃいます。でも、少し考えてみてください。
本当に責任を軽く見ている人は、引き受ける前から胃が重くなったりしません。夜にシミュレーションもしません。断ったあとに自己嫌悪もしません。
避けたくなるほど重く感じるのは、責任を真剣なものとして受け止めているからです。向き合い方の問題であって、いい加減さの問題ではありません。
断ることが、いつも回避とはかぎりません。手が足りていない、体調が整っていない、その役が本当に合っていない——正当な理由で断ることは、必要なことです。
見分け方はひとつです。断ったあと、しばらくしてもその判断に納得できているか。納得できていれば、それは選択です。何度も思い返して自分を責めてしまうときだけ、この輪の中にいるのかもしれません。
引き受けることが怖くなるのは、しばしば「引き受ける=ひとりで全部背負う」と思っているときです。でも実際の責任は、いくつもの部品に分かれています。
むしろ逆で、「ここは自信がないので相談させてください」と早い段階で言えることは、責任の取り方のひとつです。黙って抱えて手遅れになるほうが、まわりにとっては困ります。
ですから、引き受けるかどうかを「ひとりでやりきれるか」で判断しなくて大丈夫です。「相談しながらなら、やれそうか」で考えてみてください。答えが変わることがあります。
いきなり大きな役を引き受ける必要はありません。「これくらいなら、こわいけれど、やれなくはない」という大きさから始めて、思っていたほどひどくならなかったことを確かめていきます。
この確かめを何度か積むと、見積もりのほうが自然に変わってきます。気持ちを奮い立たせるのではなく、事実で上書きしていくやり方です。ワークではその階段を一緒に作ります。
背景に、うつや不安症、発達特性が隠れていることもあります。そのときは手当てのしかたが変わります。「こんなことで受診していいのかな」と迷ったときこそ、診察の時間を使ってください。このページを開いて見せていただくだけでも、話が早く進みます。